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社長ブログ
2016年02月08日

ご近所の各国はほとんど旧正月


日本に住んでいるとほとんど何の意識もせずにやり過ごしてしまうのが旧正月だ。言うまでもなく、太陰暦の1月1日。アジア圏では今でもこの旧正月を祝う国があまりにも多い。

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手元にある各国の祝日が一覧できるベンチなカレンダーを見ると、こんな感じに祝日になっている。
中国・台湾 春節 2/7(大晦日)、2/8~12(春節)
韓国 ソルラル 2/7~2/10
シンガポール Chinese New Year 2/8,9

ここに書いていないところも調べてみると、
ベトナム テト 2/7(大晦日)、2/8~12(テト)
フィリピン Chinese New Year 2/8
インドネシア Chinese New Year 2/8
マレーシア Chinese New Year 2/8,9
モンゴル Lunar New Year 2/9~11

逆にまったく関係ないのが、タイ、ミャンマー、カンボジア、そしてそれ以西のアジア各国。

テレビのニュースなどでは「中国の春節」みたいな言い方をされて中国だけがクローズアップされ、中国人の爆買いのニュースばかりが流れるが、旧正月を祝うのは何も中国だけではない。とはいえ、広い意味での「中華圏」で盛大に祝われているのだなと、ちょっと調べてみると思えてくる。

2016年01月05日

2016年、オフィスも移転し、新しい年がやってまいりました


明けましておめでとうございます。
申年の新年がやってまいりました。

聞くところによると、申年というのは波乱の年になるとのこと。
具体的に何があったのだろうと思って調べてみると・・・・・・

2004年には、
・自衛隊イラク派遣
・鳥インフルエンザ、BSE騒動
・東京メトロ誕生、成田空港民営化
・アテネ五輪
・ロシアでチェチェン紛争
・ダイエーが産業再生機構に支援要請
・新潟県中越地震
・プロ野球騒動。楽天誕生
・スマトラ島沖地震(M9.0)

1992年には、
・アルベールビル五輪、バルセロナ五輪
・尾崎豊、伊丹十三、長谷川町子、松本清張死去
・明石家さんま・大竹しのぶ離婚
・自衛隊PKOでカンボジア派遣
・東京佐川急便事件

まだ記憶に新しい2004年は今につながる大事件がかなりあった印象ですが、1992年はそれほどでも(ただし、今も語り継がれる大物が相次いでこの年に亡くなっているのは興味深い)・・・・・・。

丙申(ひのえさる)の年はさらに波乱の年という話もあるので、こちらも調べてみました。

60年前の1956年には、
・スーダン、モロッコ、チュニジア独立
・ハンガリー動乱
・第二次中東戦争
・日本が国連に加盟
・IBMが世界初のHDD発売(5MB)

120年前の1896年には、
・第1回夏季オリンピックがアテネで開催
・ヘンリー・フォードが四輪自動車の試作に成功
・明治三陸大津波
・第2次伊藤内閣総辞職、第2次松方内閣成立

さらに、180年前の1836年には、
・テキサスがメキシコからの独立を宣言し、テキサス共和国になる
・パリで凱旋門竣工
・アンデルセン「人魚姫」発表

色々大きな事件は起きているものの、60年に一度の波乱というほどではないようです。

とにもかくにも、今年が皆さんにとって幸せな年になりますことをお祈りしております。

さて、2016年の初頭にあたり、報告があります。
このたび、本年年初よりこれまでの拠点(代々木オフィス)を引き払い、新たに東日本橋の地で営業を開始することになりました。

新オフィスの住所は以下です。

〒103-0004
東京都中央区東日本橋2-4-1 アドバンテージIビル6階 サヴァリ株式会社内

ひょんな出会いが芋づる式につながる中で、ECコンサルティングを手がける、勢いのある会社「サヴァリ株式会社」さんに同居させていただくことになりました。ECサイト運営に困っている方、いらっしゃいましたらサヴァリさんにおつなぎすることもできますので、お気兼ねなくご相談くださいませ。

以下の4駅の徒歩圏内にあり、非常に便利な場所です。
・都営浅草線 東日本橋駅
・都営新宿線 馬喰横山駅
・JR総武線快速 馬喰町駅
・JR.総武線各駅 浅草橋駅
お近くにお越しの際は、ぜひお声がけください。

さて、申年の2016年はどのような年になるでしょうか。
マンディとしましては、東日本橋への移転を機に心機一転、よりいっそう皆様のお役にたてるように励んでいきたいと思っております。

弊社創業の地・秋葉原も目と鼻の先です。
会社設立から15年がたつ本年、設立時の初心に立ち返り、
・ひとつひとつの仕事をていねいにこなし
・お客様の問題解決をしっかりと行い
・そして、アジアとのつながりをよりいっそう深めていく
こんな年にしていきたいと思っております。初心に返ることで、次の飛躍につなげてまいります。

本年もよろしくお願いいたします。

2015年06月16日

日本人はほとんど知らず、中国人はほとんど知ってる高倉健の映画


いま開催されている上海映画祭で高倉健追悼で、健さん主演の映画を5本も上映するというニュースが昨日、流れていた。健さんといえば、鉄道員。そして、幸福の黄色いハンカチ。このあたりは日本では定番だろう。しかし、中国人に高倉健主演の映画で思い出すものは何かと聞くと、まったく違う回答が返ってくる。

以前に中国人の妻と高倉健と話をしていたとき、まったく聞いたことのない映画のタイトルを言い、まったく聞いたこともない共演女優(失礼!)の名前を言うので、いったい何のことを言っているのか分からなかった。ネットを駆使して調べてみると、文革直後の中国でたまたま上映された健さん主演のある映画がものすごくヒットし、中国人の多くがそれを見ているということが分かった。その映画が「君よ憤怒の河を渉れ」(中国題「追補」)だ。

1976年に公開されたこの映画は健さんの東映退職⇒独立後の1作目らしい。しかし、健さん死後に放映された健さんの人生を描いたドキュメンタリー番組を見ても、こんな映画は出てこない。東映退職後に渾身の思いで作成した映画は「八甲田山」であり、そして健さんの不器用な男というイメージを決めたのは「幸福の黄色いハンカチ」だという描き方をされている。八甲田山、幸福の黄色いハンカチとも、1977年の作品だ。それに先立つこと1年のこの作品は日本では影も形もない。Yahoo映画での評価を見てみても、評価はおそろしく低い。西村寿光原作と聞いて、ああ、よくあるサスペンスものだな、日本人には見飽きたストーリーなんだろうなと、なんとなく察しが付く。

ところが、中国人にとっては、えらく評判はよい。土曜日にNHKのBSでたまたま中国人と高倉健みたいな特集をしていたので見ていたのだが、ジョン・ウー監督やら春秋航空の社長やら中国の検察OBやら、さらには反日の急先鋒とも言われる「環球時報」という新聞の編集長やら、本当に名だたる人たちが異口同音に高倉健の「追補」に感銘を受けたことを語っている。いったいこれは何なのだろう。

「追補」が中国で上映されたのは、ちょうど文化大革命が終わった年。現在の中国でさまざまに影響力をもっている人たちも、文革ではかなり辛酸をなめた。迫害の時代がようやく終わったものの、さて何を指針に生きていけばよいのか、何を信じればよいのか、誰も分からない時代だっただろう。このタイミングで上映された「追補」は、ものすごい衝撃を中国社会に与えたという。

それまで内にこもっていた中国が外に開いていく前の時代、自分の半径何百メートルより外を知らない何億もの人たちであふれかえっている国には、まずスクリーンに映し出される日本人の暮らしが輝いて見えたという。終戦後にアメリカのホームドラマを見て、それにあこがれた日本人の心性に通じるものがあるだろう。そして、自分の信念に従い、敢然と悪に立ち向かうスクリーンの中で検事役を演じる高倉健の姿が、言いようのないくらいに格好良く、自分たちにとっての生き方の理想のように映ったという。

同じ作品でも社会背景が違うと、こうも評価が違う。非常におもしろい。

NHK BSの番組では、ジョン・ウー監督が「追補」をリメイクしようと動き出しているとも報じていた。「追補」で描かれている考え方は、日本だけでも中国だけでもなくアジア全体に通じるものがあり、「アジアの映画」として作っていきたいと言っていたのが印象に残った。

 

 

2015年05月23日

『中国のインターネット史 ワールドワイドウェブからの独立』


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『中国のインターネット史 ワールドワイドウェブからの独立』

 

JUNETやWIDEから始まる日本のインターネットの歴史、あるいは昔々の名番組『電子立国日本の自叙伝』にみる半導体の歴史、『新・電子立国』にみるパソコンやソフトウェアの歴史はあまりにも有名であちこちで語り尽くされているが、中国のインターネットの歴史を紹介した本はあまりにも少ない。この本は、そんな中で画期的な本だと思う。IT以前のファミコン(もどき)やVCDの流行った時代、実はかなり古かったレノボの創業時代から2014年、2015年の現在に至るまでの流れが時系列で非常に分かりやすく書かれている。

この本を読んでみたいと思ったのは、中国のネット規制に日常的に不便を感じすぎるくらいに感じすぎるから。中国オフショア企業とやりとりする中でも、
・Dropboxでファイルのやりとりをしていたら、ある日突然中国当局に規制されて、使えなくなってしまった。
・Skypeで文字チャットをするとき、どうも中国とやるときだけ、「相手が入力中です」と表示されてから文字が表示されるまでにかなりの時間がかかるように感じる(間で検閲が入っているっぽい)。
・実装方法の詳細を打ち合わせしているとき、「このURLを見てください」と送ったURLが先方で開けないケースもたまにある(なんとGitHubも規制されている!)
等々、イライラすることはあまりにも多い。
また、実際に打ち合わせ、視察等で中国に行ったときも、自分の会社メールをGoogle Appsにしてるため、メール自体にアクセスできない。アクセスするためにVPNに接続しても、VPNの接続が安定しない。ついこの間、今年の3月に中国に行ったときには、VPNがこまめに切断されてしまう。どうも、当局がVPNの切断までをやりだしたようだ・・・・・等々、仕事をする上でお話にならないことも多々ある。

さて、この本が、上記のイライラに何か解決をもたらしてくれるかというと、そんなことはない。ただ、なるほどねと納得はさせられる。中国のGreat FireWallの責任者は元々エンジニアだったが、仕事が評価されてか中国全人代のメンバーに選出されると、途端に発言が政治的になってきたという。よりセキュリティに完璧さを求め、その結果がVPNの切断にまでいっているのだろう。

日本に遅れること数年、2000年になってようやく盛り上がってきた中国のインターネットもいまや利用者は4億にも5億にも達する。元々はYoutubeやTwitterやFacebookのぱくりとして始まった中国国内のサービスも、いまやこの数億のユーザーが使用するまでになっている。中国は中国だけでやっていけるのだ。中国ではAndroidのアクティベーションをするのにGoogleアカウントではなく、独自のアカウントを使っている。iPhone用のサーバーも中国国内に用意されている。すべてが中国仕様になっている。中国は中国だけでやっていけるのだ。中国は中国だけを考えればよい時代になっており、「世界とつながる」方向に回帰することはないのではないか、この本を読むとそんな気にさせられてくる。

『政府に誘導された、「中国人の」「中国人による」「中国人のための」コンテンツやサービスしかなくとも、それらを利用し、消費するぶんには、中国のインターネットは十分に快適で豊穣な空間なのです』(同著)

中国はワールドワイドウェブからの切り離しに見事に成功した。中国を見習って、同じような動きをしていく国も今後は出てくるだろうと、著者は見通しを語っている。世界の動きを見ているとグローバル化も一服してきているので、この論には同感。

開かれた、誰も統治できない空間としてのインターネットは残り続けるだろうが、確実にしめつけも厳しくなってくるとは思う。自分の利用しているサービスに世界中どこからでもアクセスできるのは当然だという意識を捨てて、使えない場合にどうするかまで常に考えていかないと、グローバルの仕事ができなくなってきているのかもしれない。

 

2015年02月19日

中国オフショアのもう一つのカタチ


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今年三度目の新月の今日は、太陰暦の元旦=春節です。
中国人にとっての「春節」の概念は日本の「正月」と若干違うっぽく、オフショア先の会社でPMをしているHさんから、なぜか昨日に「福田さん、春節おめでとうございます」とWeChat(微信)でメッセージが来ました。とにもかくにも、春節おめでとうございます。新年快乐!

太陽暦も太陰暦もともに新年となったところで、改めて中国でのオフショア開発を振り返ってみました。これまで1年半近く、色々な案件の開発を中国でこなしていたわけですが、色々考えると自分がやってきたのはオフショア開発の新しいカタチではないかと思えてきました。

従来型のオフショア開発の目的はコスト削減です。人月単価は年々低くなる一方なので、利益を出すためにコストの安い中国やベトナムでソフトウェアの開発を行う。それに対して弊社が行っているオフショア開発は、自社の可能性を広げるためのオフショア開発なのです。コスト削減効果はもちろんありつつ、同時に数人ときには数十人の人を開発者として確保できることが最大のメリットです。中国の提携システム開発会社に、自社の開発部門としての機能をもってもらえるのです。会社の幅が一気に広がるではないですか。

1人あるいは数人規模でやっているシステム開発会社は山ほどあるでしょう。そういうところほど、オフショア開発を積極的に進めたらよいと思います。文化の壁というのは高く、紆余曲折は確かにあるでしょう。しかし、それを乗り越えると、得られるものはものすごく大きいでしょう。

キラリとアイディアをもっている企業が企画・設計をして、中国の工場で製造をするというケースは最近ではごく普通です。IT業界も同じです。日本におく本部はアイディア出し、設計、品質管理を行い、製造は中国等オフショアで行うというモデルがたくさん出てきてもよいのではないかと思います。こんな新しいオフショアのカタチを広めていきたいなぁと、(太陰暦ですが)年のはじめに思ったのでした。

 

2015年02月12日

おそろしきHTML5 videoの世界


html5-logo1これほどのスピード感でコロコロ状況が変わると、おそろしい。HTML5video関連の案件を手がけたところ、そんな怖さを感じました。

動画といえばmp4(H.264)が標準と考えられがちですが、実際にはmp4にはなんかのライセンスが絡んでいるとかでオープンソース陣営がそれを毛嫌いし、FireFoxやOperaがmp4に代わってライセンスに縛りのないwebMフォーマットを動画のスタンダードにしようと頑張っていました。2013年頃にまとめられたサイト(わずか1年半ほど前)を見ると、

・IE MP4のみサポート
・Chrome MP4とwebMをサポート
・FireFox, Opera webMのみサポート
という、ブラウザ別動画対応フォーマットを一覧にしているのをよく見かけます。

2014年10月、とある動画絡みの案件に着手したとき、この対応状況はまだまだ「生き」だという前提で設計、開発に入りました。MP4動画をアップロードし、サーバー上のプログラムでMP4⇒webMのコンバートを行い、両方のフォーマットに対応するというシステムを設計し、実際に開発も終わりました。

ところが、ふたをあけてみると、2015年2月の段階で、ほとんどのブラウザでmp4で再生ができるではないですか! mp4がNGな場合はwebMを再生としているにもかかわらず、ほぼすべてでmp4のみで再生がいけてしまう。どうなっているのだと思い、個別に調べてみました。

■Opera
2014年10月リリースのバージョン25よりMP4サポート!

■FireFox
Windows版は2013年夏(FireFox22)にすでにサポート開始……。
MacやAndroidでは、2015年1月(FireFox35)から正式サポート。

検証は必要であるものの、考えられるほぼすべてのプラットフォーム(Linuxは知らない)でhtml5の動画形式としてmp4がいつの間にか使用可能になっているわけです。地味だけど、大きな流れが来ているのを実感しました。

それにしても、案件開始時とリリース時で、これだけ状況が変わってしまうとは。HTML5の世界はおそろしいと再認識しました。くわばらくわばら。

2015年01月23日

Google+ページへの道


Google+というのが、いまだによく分かりません。
とはいえ、普通にハングアウトなどは使ったりしています。
ハングアウトに何かおまけがついたものと思えばよいのかもしれません。

昨年末、自社のサイトをリニューアルしようと決めた際、どうせならソーシャルも連動してみようと思い立ちました。Facebookページをメインにしてしまうという誘惑もあったわけですが、SEO的には自分のところのコンテンツをもっておいた方だよいだろうという考えに至り、結局、ブログで書いて、同時にソーシャルにも投稿するという方針に切り替えたわけです。ソーシャルといえばFacebookですが、もう一つ気になるあいつ=Google+のページ作成も試みてみることにしました。

Google+ページ。Facebookページのように簡単に立ち上げられるかと思いきや、実はちょっとしたハードルがありました。住所確認です。

Google+ページを作成しようとすると、以下のようにビジネスの種類の選択を求められます。うちのような会社だと、ここで迷うわけです。エリア限定サービスでは、明らかにありません。では、実店舗型なのか、ブランドなのか。マンディは製品ではないし、社会運動でもない。となると、代々木という地にオフィスを構えている実店舗なのか。よく分からないながらも、「実店舗」を選らんでみました。

Google+ページ作成

促されるままに色々な情報を入力していき、これで完成かと思いきや……。最後に実店舗の存在確認というのが待っていました。この存在確認というのは、非常に厄介です。国内の店舗で何かを購入するときには、免許証なり登記簿謄本なりを見せれば事が足りますが、こと国際展開するIT企業が相手となると、そういうわけにもいきません。以前にiPhoneの開発に必要なiOS Developer Programに法人で申し込んだときも、なんやかんや(ここでは省略)があり、非常にめんどくさかったことが思い出されます。では、Googleさんは実在確認をどういう方法で行うのか。驚いたことに、もっともアナログな方法をとっているのです。登録した住所にパスワードを書いた郵便を送り、郵便を受け取ったら、そこに書いてあるパスワードを入力するという方法です。えらい手間がかかることだけれども、これをやってのけてしまうのは、ものすごい。変に感心しながら、「では、郵便物を送ってください」と住所を登録しました。昨年の12月中旬でした。

年末だから、郵便が届かないのかと思いました。年が明けても郵便が届きませんでした。年賀状と一緒に配達されてくるのかとも思ったけれども、何も来ない。途中で紛失したのかと思っても確認のしようがない。とりたててGoogle+を真剣にやっていたわけではないので、いつしか存在さえも忘れかけていた1月下旬、1通の郵便物がGoogleさんから送られてきました。

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その封書は白く輝いて見えました。送付元をみると「TAIPEI, TAIWAN」。なるほど、国内よりも海外から送った方がDMの値段がやすくなるトリックを使ったやつですね。かくして、マンディのGoogle+のページはGoogleさんのお墨付きも得て、機能するようになったようです。

さて、Google+で何をやろう。
とりあえず器は作ったので、器に盛りつける料理を作るのはこれからです。

めでたし、めでたし。

 

2015年01月07日

2015年、あけましておめでとうございます


遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
Webサイトをオープンしたものの、ついつい更新が遅れてしまいました。今年は気付いたことを書き留めておこうと思っております。

さて、これまでマンディは「つなげていくこと」を得意分野として仕事をしてきました。それは、現場のニーズを聞く中で最適な解を提案することでもありました。また、制作の過程で誤解が生じがちなクリエイターとエンジニアとの間に入って、お互いの言葉を翻訳しながらプロジェクトをまとめあげていくことでもありました。そして、一昨年末から新たに加わってきたのが、アジアとのつながり。中国をはじめとして、台湾、タイ等とつながり、受発注やコラボレーションなどの形ができあがりつつあります。

2015年、本年の株式会社マンディのテーマは「アジアとのつながりの深化」としていきます。せっかくできたこのつながりを、さらに広く、深くしてまいります。笑われるかもしれませんが、今年の最終目標はマンディの海外支店を作ること。具体的にどんな仕事があるかではなく、どんなことにワクワクするかという視点だけで考えて決めました。

突拍子もない海外支店計画。うまくいくかどうか。
中国でのオフショア開発も、元をただせば私(福田)の妻が中国人だから中国と何か仕事ができないかという視点で開始しただけです。具体的な仕事など何もなかったけれども、とりあえずやれる体制だけを作ったわけです。そしたら、それに合った仕事が来るようになって、オフショア開発がまわるようになってきた。この経験から学んだのは、原因を作れば結果が出るのだという当たり前のことでした。ですので、これからは色々な「原因」を作ることを積極的にやっていきたいと思っています。
2015年が楽しみです。

本年もよろしくお願いいたします。

 

2014年12月31日

中国オフショアの成功例を作れた2014年


中国に出す仕事なんてあるの――中国のシステム開発会社とつながりを作りたいと妻に話したときには、最初にこんな反応が返ってきました。無理もありません。その当時の弊社の状況は、自分とその周囲だけで回せるくらいの仕事しかしていませんでした。中国オフショアでの開発となると、細々したものではなく、それなりの規模でないと割が合わない。当時の私に何らかの確信があったわけではなく、ただ単に中国人と結婚したのだから、中国との仕事をしようという、ものすごく安易で単純な考えがあっただけでした。それでもつながりを作りたいというと言うと、中国人独自のネットワークを駆使してツテをたどってくれ、広州の中堅規模のシステム会社とつながることができました。

広州のその会社(以降、K社)は広州の外れの先端企業団地みたいなところに位置し、日立やトヨタ等大手企業からもたえず引き合いのある、非常にしっかりした会社でした。従業員の日本語力はしっかりしていて、驚いたのはオフィスのあちこちに日本語の標語(製造業でよくありそうな「カイゼン」を意図したもの)が貼り出されていることでした。ここはおもしろいと一発で気に入り、一緒に仕事することを思い描いてわくわくした気持ちになりました。去年の6月のことです。しかし、目先に仕事があるわけではありません。

転機が訪れたのは去年の10月頃でした。知り合ったばかりの会社から「こんな仕事やってみる?」といきなり相談をもちかけられたのが、ある会社のNotesで作られた社内システムをWebで一から構築するシステムに全面リプレイスするというものでした。ただし、納期を厳しく、数ヶ月以内とのこと。以前の弊社だったら間違いなく断ったでしょうが、ある程度の規模のシステムも中国のK社と協力しながら構築していけるという根拠のない自信がどこかにあって二つ返事で引き受けてしまいました。

引き受けてからは、すぐに広州に飛んでキックオフミーティングを行いました。昼のミーティングでは、日本語の達者な皆さんから色々な質問、突っ込みを受けながらも終始和やかに話しを進めることができ、このチームとは相性よくやっていけるという感触を得ました。そして、その日の夜……中国の洗礼を受けることになります。プロジェクトにかかわる皆からの白酒乾杯一気飲み攻撃。50度以上の酒を小さい器ながらも一気飲みを繰り返すと、最後の方はフラフラになっていました。フラフラになりながらも、K社の皆の輪の中に入れて、ただただ楽しい気分でもありました。

日本に帰ってからは怒濤のような日々が続きます。K社の皆との連絡はSkypeで行うと決めていました。主要メンバーとはSkype IDの交換をK社訪問時に済ませていたわけですが、K社からは毎日のようにSkypeで仕様確認の連絡が入ります。最初はPMとのやりとりばかりでしたが、開発が佳境に入ってくると、主要メンバー5人がそれぞれに確認の連絡を入れてきます。こちらが昼飯中だろうと、移動中だろうと容赦なく連絡が来るわけで、移動中にスマホのSkypeで返答するということも日常でした。さらには日本の祝日でも中国からしたら稼働日なわけで、祝日にも容赦なくSkypeの着信がありました。そして、そのひとつひとつの着信で的確に仕様の漏れや不明点を指摘されるわけで、いつしかSkypeの着信音を聞くと体が緊張するようにもなっていました。Skypeの画面に「福田さん、いますか?」と表示されると、「いないよ」と書いてそのまま切ってしまいたい誘惑にかられたことも何度もあります。

それでも何とか続けていけたのは、彼らの指摘のひとつひとつがもっともであるからです。回答をするたびに、プロジェクトは着実に進んでいきました。自分たちで勝手に解釈したり、仕様変更したりすることはせず、不明点があったらどんな小さなことでも必ず確認を入れてきていました。その彼らの姿勢をいつしか私は信頼するようになっていましたし、またその一つ一つに丁寧に答えていった結果、私も彼らの信頼を得られるようになっていたのかとも思います。

もちろん、いいことばかりではありません。時々、あまり調べることなく、「これはできません。別の方法をとりたいです」みたいに言ってくることも何回かありました。できないわけないだろうとイライラすることも多く、「もっと調べてください。できる方法はあるはずです」と返し、結果としてできあがることもたくさんありました。「ここまでは料金範囲内。ここから先は別料金」という区分けでもめたことも何度もあります。日本的に「なんとかやってよ」というなれ合いは中国人に対しては絶対に通じません。このときには理詰めで言うと相手が納得することもあります。また、逆に向こうの理屈が確かであればこちらが納得せざるをえません。そんなこともありつつ、プロジェクトは着々と進んでいきました。

プロジェクトが終わったのは今年の春先でした。その後、初夏から二次開発に入り、二次開発も終わったのが秋の空気を感じ始めた頃でした。足かけ1年にも渡った大きな仕事でした。

プロジェクトの終了間際、K社のPMとSkypeで雑談をしていると、「福田さん、次の仕事、何かありますか?」と問われました。営業トークかなと思って聞いていると、どうもそうではなく、「福田さんとまた仕事をしたいです。プロジェクトの他の人たちもみな、そう思っています」と言葉が続きました。こちらとしては仕様書が期日通りに仕上がらないことも多かったし、仕様書にも抜け・漏れがたくさんあるしで、K社側のエンジニアもイライラしながらやっていたのだろうな、申し訳ないなという気持ちが大きかっただけに、正直、驚かされました。同時に、ものすごくうれしい気持ちでいっぱいになりました。中国・K社と仕事をしてよかった。

思い返せば、K社PMとのSkypeのやりとりも最初と最後とでは変わっていました。最初は淡々とビジネス的に進めることも多かったですし、あまりこちらが無理言っても「無理です。ダメです」と断られることも多くありました。しかし、最後の方には「福田さんが困っているのであれば、それは引き受けますよ」と、あっさりと引き受けてくれることも多くなりました。

中国人は会社対会社ではなく、個人対個人を大事にすると聞きます。名刺交換をするときも、会社名ではなく個人名を最初に名乗るといいます。私が大企業の一員として彼らに接していたら、おそらくはビジネスの関係以外にはなりえなかったでしょう。しかし、幸か不幸か自分という個人を押し出す以外に私と私の会社には売り物がありません。開き直って福田個人として中国に乗り込み、個人としてプロジェクトのメンバーとつながり、休日とか関係なく応対していったことで結果として個人対個人の関係が作れたのかなと、そんな気がしています。入り込むまでが大変でも、一度入るとかなり強固なのが中国人どうしの関係。期せずしてここに入り込めたのが、ものすごくよい結果を生み出した気がします。

今ならば力強く言えます。中国の会社と一緒にものを作り上げていくことは可能です。それもクオリティの高いものを作り上げていくことが可能です。

2014年、今年は中国オフショアのソフトウェア開発のひとつの成功事例を作り出せた年だと自負しております。この結果を2015年につなげていきたいと思っております。

最後になりますが、2014年中は本当に多くの人々にお世話になりました。皆様との出会い、偶然という名の必然の中で生かされてきたように感じます。引き続き、今後もよろしくお願いします。