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社長ブログ
2014年12月31日

中国オフショアの成功例を作れた2014年


中国に出す仕事なんてあるの――中国のシステム開発会社とつながりを作りたいと妻に話したときには、最初にこんな反応が返ってきました。無理もありません。その当時の弊社の状況は、自分とその周囲だけで回せるくらいの仕事しかしていませんでした。中国オフショアでの開発となると、細々したものではなく、それなりの規模でないと割が合わない。当時の私に何らかの確信があったわけではなく、ただ単に中国人と結婚したのだから、中国との仕事をしようという、ものすごく安易で単純な考えがあっただけでした。それでもつながりを作りたいというと言うと、中国人独自のネットワークを駆使してツテをたどってくれ、広州の中堅規模のシステム会社とつながることができました。

広州のその会社(以降、K社)は広州の外れの先端企業団地みたいなところに位置し、日立やトヨタ等大手企業からもたえず引き合いのある、非常にしっかりした会社でした。従業員の日本語力はしっかりしていて、驚いたのはオフィスのあちこちに日本語の標語(製造業でよくありそうな「カイゼン」を意図したもの)が貼り出されていることでした。ここはおもしろいと一発で気に入り、一緒に仕事することを思い描いてわくわくした気持ちになりました。去年の6月のことです。しかし、目先に仕事があるわけではありません。

転機が訪れたのは去年の10月頃でした。知り合ったばかりの会社から「こんな仕事やってみる?」といきなり相談をもちかけられたのが、ある会社のNotesで作られた社内システムをWebで一から構築するシステムに全面リプレイスするというものでした。ただし、納期を厳しく、数ヶ月以内とのこと。以前の弊社だったら間違いなく断ったでしょうが、ある程度の規模のシステムも中国のK社と協力しながら構築していけるという根拠のない自信がどこかにあって二つ返事で引き受けてしまいました。

引き受けてからは、すぐに広州に飛んでキックオフミーティングを行いました。昼のミーティングでは、日本語の達者な皆さんから色々な質問、突っ込みを受けながらも終始和やかに話しを進めることができ、このチームとは相性よくやっていけるという感触を得ました。そして、その日の夜……中国の洗礼を受けることになります。プロジェクトにかかわる皆からの白酒乾杯一気飲み攻撃。50度以上の酒を小さい器ながらも一気飲みを繰り返すと、最後の方はフラフラになっていました。フラフラになりながらも、K社の皆の輪の中に入れて、ただただ楽しい気分でもありました。

日本に帰ってからは怒濤のような日々が続きます。K社の皆との連絡はSkypeで行うと決めていました。主要メンバーとはSkype IDの交換をK社訪問時に済ませていたわけですが、K社からは毎日のようにSkypeで仕様確認の連絡が入ります。最初はPMとのやりとりばかりでしたが、開発が佳境に入ってくると、主要メンバー5人がそれぞれに確認の連絡を入れてきます。こちらが昼飯中だろうと、移動中だろうと容赦なく連絡が来るわけで、移動中にスマホのSkypeで返答するということも日常でした。さらには日本の祝日でも中国からしたら稼働日なわけで、祝日にも容赦なくSkypeの着信がありました。そして、そのひとつひとつの着信で的確に仕様の漏れや不明点を指摘されるわけで、いつしかSkypeの着信音を聞くと体が緊張するようにもなっていました。Skypeの画面に「福田さん、いますか?」と表示されると、「いないよ」と書いてそのまま切ってしまいたい誘惑にかられたことも何度もあります。

それでも何とか続けていけたのは、彼らの指摘のひとつひとつがもっともであるからです。回答をするたびに、プロジェクトは着実に進んでいきました。自分たちで勝手に解釈したり、仕様変更したりすることはせず、不明点があったらどんな小さなことでも必ず確認を入れてきていました。その彼らの姿勢をいつしか私は信頼するようになっていましたし、またその一つ一つに丁寧に答えていった結果、私も彼らの信頼を得られるようになっていたのかとも思います。

もちろん、いいことばかりではありません。時々、あまり調べることなく、「これはできません。別の方法をとりたいです」みたいに言ってくることも何回かありました。できないわけないだろうとイライラすることも多く、「もっと調べてください。できる方法はあるはずです」と返し、結果としてできあがることもたくさんありました。「ここまでは料金範囲内。ここから先は別料金」という区分けでもめたことも何度もあります。日本的に「なんとかやってよ」というなれ合いは中国人に対しては絶対に通じません。このときには理詰めで言うと相手が納得することもあります。また、逆に向こうの理屈が確かであればこちらが納得せざるをえません。そんなこともありつつ、プロジェクトは着々と進んでいきました。

プロジェクトが終わったのは今年の春先でした。その後、初夏から二次開発に入り、二次開発も終わったのが秋の空気を感じ始めた頃でした。足かけ1年にも渡った大きな仕事でした。

プロジェクトの終了間際、K社のPMとSkypeで雑談をしていると、「福田さん、次の仕事、何かありますか?」と問われました。営業トークかなと思って聞いていると、どうもそうではなく、「福田さんとまた仕事をしたいです。プロジェクトの他の人たちもみな、そう思っています」と言葉が続きました。こちらとしては仕様書が期日通りに仕上がらないことも多かったし、仕様書にも抜け・漏れがたくさんあるしで、K社側のエンジニアもイライラしながらやっていたのだろうな、申し訳ないなという気持ちが大きかっただけに、正直、驚かされました。同時に、ものすごくうれしい気持ちでいっぱいになりました。中国・K社と仕事をしてよかった。

思い返せば、K社PMとのSkypeのやりとりも最初と最後とでは変わっていました。最初は淡々とビジネス的に進めることも多かったですし、あまりこちらが無理言っても「無理です。ダメです」と断られることも多くありました。しかし、最後の方には「福田さんが困っているのであれば、それは引き受けますよ」と、あっさりと引き受けてくれることも多くなりました。

中国人は会社対会社ではなく、個人対個人を大事にすると聞きます。名刺交換をするときも、会社名ではなく個人名を最初に名乗るといいます。私が大企業の一員として彼らに接していたら、おそらくはビジネスの関係以外にはなりえなかったでしょう。しかし、幸か不幸か自分という個人を押し出す以外に私と私の会社には売り物がありません。開き直って福田個人として中国に乗り込み、個人としてプロジェクトのメンバーとつながり、休日とか関係なく応対していったことで結果として個人対個人の関係が作れたのかなと、そんな気がしています。入り込むまでが大変でも、一度入るとかなり強固なのが中国人どうしの関係。期せずしてここに入り込めたのが、ものすごくよい結果を生み出した気がします。

今ならば力強く言えます。中国の会社と一緒にものを作り上げていくことは可能です。それもクオリティの高いものを作り上げていくことが可能です。

2014年、今年は中国オフショアのソフトウェア開発のひとつの成功事例を作り出せた年だと自負しております。この結果を2015年につなげていきたいと思っております。

最後になりますが、2014年中は本当に多くの人々にお世話になりました。皆様との出会い、偶然という名の必然の中で生かされてきたように感じます。引き続き、今後もよろしくお願いします。